ある日、ちょっぴり人見知りな人とそうでない人が会話している。
人見知りなせいか、その人はいつもそうでない人が言うことに頷いている。いつもなんで頷いているのかがよくわからず、会話を楽しんでいる。
でも人見知りを知られたくないのか、頑張って話についている。
今は、ブラインドカーテンが開いているように、室内の人が日光を浴びるように、お日様と人が顔を合わせて会話を”楽しんで”いる。
だってそれはそう。ブラインドカーテンを開けるということをしてまで、顔を合わせているから。
しかし、ブラインドカーテンだっていつかは閉じられる。その時が会話の終了ポイント。
互いに心が見えなくなって、また考えに壁ができる。
それを何度も何度も毎日繰り返す。
それって本当の人と人との繋がりとしては面白くない。同じことの繰り返し。
でも、ブラインドカーテンだっていつかは壊れる。その時が本当に心が通じ合った感動ポイント。
互いに心がだんだん分かってきて、考えにおんなじことの均衡が取れる。
その時、人は初めて人見知りという壁を乗り越えて、新たな境地に立つことができる。
でもね、それって本当に心が通じ合っているようで本当はそうじゃない。だってブラインドカーテンが”壊れている”から。何かが壊れてまで繋がるものって寂しい。
いつか、ブラインドカーテンが壊れずとも、顔を合わせることができたと思えるお日様は昇ってくる。
いつか、初めて会った人にも関わらす、人見知りを思わせないような人は現れてくる。
その”いつか”が”今”であるような瞬間を”全て”で共感したい。
それが”いつもある”って思えるような人でありたい。
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