お昼の13時とその半分の時間。
おやつのスナックを食べる親子がいる。場所はある公園、太陽の光が青く茂っている木の葉っぱを通り越して明るく照らす場所。それだけでなんだか歌詞や小説が書けそうな場所。
スナックを食べているが、話している内容は、これからの人生どうやっていこうかなとか、子供ながら大人びたことを話している。将来の夢や、結婚の話。いろんな話が飛び交っている。
そよ風が吹くたびに、その話は新たな境地に至り、新たな話題として会話をしている。それの繰り返しなのだが、実に愛おしい。ちゃんと考えている。
子供だから考えなくても良いだとか、子供だから考えることがまだまだ未熟だとか、そういう親が多数いる中で、そう言った大人びた話をして、親子は意見交換をしている。量産型思考から遠く離れた場所にいて、そのことを第三者に知られることも無く、独自の世界を創造している。
意見がたくさん出て、その意見を深くしていくのがその親。その親は賢いのだろうか、理由までを子供にわかるように説明している。
端的に言うと、こう言う親子が将来の世界を変える人々だと感じた。
世の中の概念そのものを変える子供の意見は、本当に素晴らしい。例えば、政治家ってなんで若い人がいないのかとか。普段、一般人が普遍化してしまったことを全く考えないことを、簡単に考えている。
いつかは、そのスナックの食べる速度は落ちていき、大体3割くらいだろうか、食べずに話ばかりするようになった。
スナックは口ですぐに砕けて体の中に入っていくが、その話はよく聞いておかないと噛み砕くことができず、頭に入っていかない。
スナックのようにすぐに入っていく内容の会話なんて、誰でも思いつく。口にでもすぐに出る。脳死の状態で、日常的に「ヤバい」とか、誰でも言える。
世の中から永遠と無くならないものの一つ。それは「疑問」という考えること。
人間誰だって考えるんだから、スナックみたいな簡単に飲めこめてしまう会話をするなんて、人間としての考える能力そのものをなくしているものと同義える。
その親子は、永遠と無くならないその疑問というテーマでずっと話しているため、スナックなんて例えるのが惜しいくらい良い会話ができている。
人間が考えて、それを他人に伝えて、行動していくことがいかに重要かを考える日であった。
私もそういう会話ができるような親子になると確信した日でもあった。
コメント