コーヒーを飲む時、いつも思うことがある。
それは、そのコーヒー豆がどうやって作られ、その豆がどういう風に挽かれ、どんな気持ちでドリップされているのか。
カフェでアルバイトをしているため、ある種の職業病かもしれない。コーヒーは、ただただ苦いだけでなく、その中にどれほどの”気持ち”という甘さが入っているかが大事だといつも思う。
私がいつも働いているカフェでは、コーヒーはハンドドリップで淹れる。ハンドドリップは人としての個性が一番出やすいし、飲む人からすると、気持ちが分からなくても、味という五感の一つに訴えてくるというそういうもの。
もちろん、習慣の一つである、一日一杯の朝のコーヒーもハンドドリップで淹れる。豆が16グラムで熱湯が93℃だ。
一杯ごとに気持ちを込めてもその時の、豆の調子では苦味が強く出たり、なんだか大味になったり、いろんなことがある。
私は、その豆の調子ということでさえ、コーヒーの愛おしさの一つだと感じる。
私のアルバイト先ではハンドドリップだと言ったが、普通のチェーン店だとどうなんだろうともいつも考えさせられる。ちなみに私のアルバイト先はチェーン店ではない。
機械によってドリップされて、保温ポットで保存され、それを提供しているのではないかといつも思う。答えはなんだっていい。考えることが重要だからだ。
機械で淹れるコーヒーとハンドドリップで淹れるコーヒーどちらの方が美味しいかなんて、そんなの淹れる人による。これは絶対。ただ、経験が浅い人がハンドドリップするよりもいい機械で出した方が美味しいのは、これも確定。
どれも一長一短でいいなと、つくづく感じる。
結局は一番美味しいコーヒーはやっぱり、熟練された人がハンドドリップで淹れるコーヒーに限る。
と言っている私は今、機械で入れられたコールドブリューのアイスコーヒーを飲んでいる。
30年後にオランダでカフェを経営したい夢を叶えるために、このハンドドリップで淹れる習慣は絶対に必要だと感じる日だった。。
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