学生にとって忙しいは必要かどうか、最近いつも考える。
特に大学生。
大学生って一番未熟で一番不安定な時代。いわば飛行機で言うと離陸前の地面を滑走している時みたい。離陸するかもしれないし、それまでずっと加速をしている。ひたすら走り続ける。行き先すら空に浮いていないわけだから無限にある。
そう。大学生の可能性は無限。
無限だから、それまではひたすら走り続ける。いろんな往路を探すためにいろんなことに手を出す。帰路なんてすぐにわかるから決めなくていい。
ひたすら走り続けることによってどうなるか。それは忙しくなる。例えばの話、飛行機の管制室も飛ぶ前の飛行機が多いと混雑する。
でもそれって必要あるのかなって。
大学生にしかできないことだし、とっても大事なことだと、それはわかってる。あくまで個人的に。
あくまで個人的に意見を言うと、必要なのだ。ただ、社会からするとどうなんだろう。管制室は忙しくなって、受け入れができなくなってしまう。いわばパンク状態だ。
大学生だって、全員が全員そうすればいいなんて思わない。
例えば、大学3年生の話。10月に就活イベントに参加した時によく言われるのが「10月にここにいるなんて就活始めるの早いね。」という言葉。
一般世間では早いのかもしれない。ただ、個人的な意見としては全然早くない。なんなら遅いと感じる。今頃自己分析がどうのこうの、私からすると今するのはそうではなくて、その先じゃないのかと。今頃乗客が飛行機に乗り込んでいるなんてどう考えても遅い。
私が思うのは、これを言われると言うことは、10月に就活を始めるのが早いという一般常識があるからという理由があるから。だから”個人的な意見”なのだ。
社会からすると、テイクオフ待ちの飛行機なんて少なくていいのだ。それで今の社会が回っているんだから。
そう考えると、学生にとって忙しいは必要ではない。いわばオプション品というところだろうか。
早く管制室に飛ぶことを伝えて、早く準備して、エンジンを温めている飛行機はその分早くテイクオフするだけ。
全員がこの状況だったらつまらない。なんなら1年生の時から管制官に伝える学生なんて少ない方が良い。私からすると競争相手が減る。
忙しいがあれば、その限界を知っているから無理という線引きができる。しかし、無能な人なんてその限界を知らないだけ。でも日本だとその人たちは何も困らない。だって日本だもの。日本は本当に良い国だなって思う。
経験とかそう言うのって短期的に見ればどうでも良いことが多いけど、長期的に見ればかなりのメリットがあるとも思う。少なくとも悪いテイクオフにはならないからだ。
今回はいかに良いテイクオフができるかというお話。その話をしている私はというと、もう少しでいいテイクオフができそうなところまで来ている。体がフワって浮きそう。
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