「新境地に立つのは少し億劫で緊張するし、あんまりしたくない。」
この言葉、よく若者のなかで聞いたり、そして話したりする。
実際、この言葉について、いいのか悪いのかなんてそんな答えは存在しない。ただ自分がいくら社会の中で認められていて、自分に自信がついているのかによるんじゃないのかなっていつも思う。
言葉の真理としては、結局新しいことに挑戦するのかどうかのお話。
今回はそんなお話をしていこうと思う。
周りによく言われるのが、行動力の話。
行動力がありすぎると言うお話は、本当によく言われすぎていて、恥ずかしい話、言われても全くどうも思われなくなったというのがある。
でも実際に、行動力って意識するもんじゃないと思う。事実、私も意識をしていない。
ただ、理想を追い求めているだけ。ただそれだけ。
いつか、理想は崩れるだろうだとか、理想って現実とはかけ離れているだとか、そんなことを言っている人が多いのも事実。そう言う面では私は考え方が少数派の人間だと感じる。
行動しなければ、そのチャンスを逃すことがある。
そのチャンスはこの人生で二度と来ない。
いつもこのことは思っている。
おそらくこの思考が私の行動力につながっていると思う。
前回の投稿にて、「20年後の自分を見つめているか否か」というお話をした。これも実際今回の話題にすごく関わっている。
ただ、私は20年後の自分に向けた理想を現実にするために、ひたすら走っていると思う。
行動力が欲しいなんて言っている人は、そういう目標設定ができていない人が多数。多分9割くらいしていないんじゃないのかなって思う。
私はどうしてそう言う人たちは、自分のことなのに、その未来を見つめないのか、ビジョンをはっきりさせないのかが謎で仕方がない。
おそらく価値観の違いによって、この謎は生まれているんだろうけど、やっぱり、目標設定はちゃんとするべきだと思う。
挑戦力は、実際、行動力に含まれていて、挑戦しないのは、それは未来のビジョンが見えていないから。
若者は経験も浅い。だから新境地に立つのは少し億劫で緊張するし、あんまりしたくないという発想が生まれる。
社会が活性化するためにはその概念を無くす必要があるんだけど、なかなか自分から取り除かないと難しい。
自発的に、そういった邪念を取り除く必要があるよねっていうお話でした。
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