「日本人は良くも悪くも正直にならないことが多い。」
これは、海外の人たちがよく言う言葉であるというのは、よく知られた話であると思う。
でも、日本人は正直になっている事を自覚しているのだろうか。海外の人という第三者からこういうフィードバックをもらうことによって初めて気付かされたことであるかとか考えたことはあるのだろうか。
こういう世の中の“なぜ“について話を突っ込んでいくというお話は以前の投稿で書いてみたので是非見てほしい。
今回のお話は、そういう前置きのお話とすごく関係のある話。今回のお話は「Be honest:正直でいること」というお話について。
さて、今回は正直になるとお話だけど、細かく言えば「いかに“自分らしさ“という少数派の意見を尊重して、自分らしくいること」ということ。
日々思ってしまうのが、世の中のほとんどのことが量産型思考によってできたものではないかということ。その考えがよくでくるのが、物事について考える姿勢。
世の中のなぜについて考える人ってかなり少ないですよね。
先ほどにのリンクのブログにも書いたことが、実はそういう世の中のなぜについて考えを持つ人間ってかなり少ない。大半の人は知りたいと思っても、その次のアクションが無い。ある種の行動力の不足だと考えることが一般的であると言えるかもしれない。
というのが一種の正直にいるということに繋がってくる。
世の中のなぜに首を突っ込んでくるというのは正直にいうと、第三者目線からするとめちゃくちゃ変な人、変人扱いされるということはしょっちゅうあること。
ただし、当然、周りの人がどう考えようが、他人は他人。自分とは全く違う考えを持っていることをあらかじめ考えておい置くと、そういう目は自然と普通なことのように中和されていく。
そういう意味で言うと、周りの目を気にしすぎていたら、自分らしさが失われてしまう。結果、周りに合わせるので、正直さが失われてしまう。
今回のブログのタイトルは「Be honest : 正直になること」ということだった。
自分らしくいるということは、案外難しい。というか、すごく難しいことだと、このブログを見ている閲覧者の方々は思っているはず。周りの目というのをあまり気にせずに自分だけの世界を作ることになるから一人になるということが多くなるからだ。我ながら思うのは、一人になるということは果てしなく難しい。
ただ、私の場合は、幼稚園からの親友が二人もいるため、その人たちがいるお陰で一人になるという機会を多く作れた。一人になることが大して大きな壁とはならなかった。
もし、私みたいに一人になっても不安にならないような親友がいるとしたら、私みたいに一回自分の世界を見てほしい。そうして、是非、少数派の意見を持ってほしい。そういう親友がいないなら、居ないなりに、周りと縁を切ってみるといい。本当の自分が見つかった時、同時に同じ考えを持つような人に出会った時、その人が親友になるだろう。
少数派にいるということは、周りから見て、興味深い人になるということ。実際に私はそういう話をよく話される。少数派の意見と言うのは世の中ではかなり需要の高いものであるといえる。
海外の方々はそういうことがわからずとも、ちゃんと自分の世界をしっかりと見て、自分らしさというものを見つめている。正直な世界にいるのだ。
日本に住んでいれば、狭い国土の中にたくさんの人がいるため、日々、まわりの目を気にしないといけない状況が必然となってくる。
人はいつか死ぬ。そのことを日頃から考えておいて、ちゃんと自分らしい姿というのを見つめた方がいい。絶対にそっちの方が人生楽しい。
正直にいる人が少ないがために、もし、自分の世界を見ているなら、あなたは少数派ということを是非自覚してほしい。とてもいいことであり、今じゃなくても絶対に人生楽しくなる。
少数派の意見を持つことは決して恥ずかしいことではない。Be honest.
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