Kazyの日常日記

2022-09-13:Not to lose myself

 「ちゃんと休みを十分に取れているだろうか。」

 この質問の先に、答えとして何割の人が「十分に取れている」と答えることができるだろう。

 特に学生はどうだろうか。社会人は大体週休2日休むことができるため、休みは取りやすいと思っているが、学生に関してはそうはいかない。

 学生は、平日は夕方6時まで勉強や研究をし、そこからバイトをして、休日は二日ともバイトを入れるという人がかなり多いのでは無いでしょうか。

 社会人の中でも、副業で時間を費やしているという人は多いと思う。

 疲れが溜まって無ければ良いのだが、そういう人たちはちゃんと休めているのかと、心配になる。

 「若いから動けるうちに動いておいた方がいい。」という考え方もできるが、それが適用できるのは18歳や19歳とかその辺の歳だろう。20歳を越すと休んでも疲れが取れない現象がだんだんとやってくる。

 疲れが取れて、やっと十分に休みが取れていると確信できる。


 という意味で、今一度問う。

 「ちゃんと休みを充分に取れいるだろうか。」

 思い返してみると、初め取れていると思っていた人も、疲れが取れていないということを基準に考えると、かなりの人が「いいえ」の方に回答を変えているのではないでしょうか。


 なぜ、この話をするのか。

 それは、疲れが取れないということは、人間のメンタルヘルス上良く無いことだからだ。人間は寝ることで精神を安定させたり、体力を回復させてたりする。

 特に、寝るという動作においては、この上ない薬だと思っている。寝ることで、ストレスが減り、そのおかげでいろんな病を発症しにくくなるからだ。

 という意味で、休みを充分に取れていないということは、その分睡眠という大切なものに時間を割くことができず、精神上、身体上に異常を来してしまう可能性がある。


 世界で見ても、日本の勤務時間は長く、賃金は低く、自殺率も高い。

 どうしても日本という国で生きている上で、大多数の人は休み充分に取れずに、疲れが溜まってストレスなどから病んでしまう人が多数いる。

 「残業しないと給料が低いから」や「バイトして旅行したいから」というお金に対しての欲望を私は一層のこと捨てるべきだと思う。

 お金は大切だが、無理したその先のリターンが少なすぎる。お金と引き換えに取れない疲れというのがつきまとう。

 なので、本当は、お金がなくても幸せな暮らしをするべきなのだ。


 もし、旅行したいだとか、楽器を買いたいだとか、新しいスマホを買いたいとかいう欲望が捨てきれない場合は、それらを仕事にすればいい。

 今だとYouTubeやブログ等でそれらを仕事にできる方法が多数ある。新しいスマホを買いたいなら、なぜそのスマホに惹かれたのか、そのスマホの実機レビューという形ですぐに動画や記事としてアップロードできる。

 好きなことをしているのであれば、嫌々する仕事と比べて疲れは溜まりにくいだろう。

 という意味で、好きなことを仕事にするのはとてもいいことなのだ。


 もう一度言う。お金がなくても幸せな暮らしをする。

 この言葉の先に心に病んでいる人がいるならば、その人に向けてこの言葉が響いてほしい。お金で買えない友人や今あるものを大切にしてほしい。

 自分の好きなことは何だろうか。今、何をしたいのだろうか。休みを取れているだろうか。

 そしたら、少しは心が和らぐはず。そしたら、また新しい挑戦をすればいい。

 このサイクルがあるおかげで自分の価値を高めることができる。階段は少しずつでいいから登っていけばいい。

 お金に目が眩んで自分を見失わないように。

 人生は長い。

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