普遍化という言葉は、ものを使っていくうちに、そのものへの愛着と反比例するが如く、そのものがその人にとって特別ではなくなってくる事を指す。
そういった意味ではものを買ってしまった以上、その先にあるのはその人にとってのそのものの普遍化で、それを避けることができない。
もし仮に、その中から愛着をその都度見つけることができ、なおかつその愛着を一定の期間ごとに新しいものとして見つけられた場合、話は変わってくる。
しかし、”モノ”という以上、限られた事象の中で新しい愛着を持てるようなポイントを探すのは至難の業だ。
ということで、ものを使っていくなかで、初めは満足するかもしれないが、いづれ愛着は薄れ、そのものは生活の中に普遍化されて使われていく。
普遍化してしまうもの中には、人も含まれている。愛着を持つということで、それはそのまま愛へと変換することができるだろう。
当然、愛だっていづれ普遍化してしまう。
初め知り合いたては、パートナーの新しい点を見つけては、自分の思想に取り入れて思案する。または、その相手の点を自分の行動へと移していく、
では、なぜ時間が経つにつれて、その愛は薄れていくのだろうか。
それは、単純な話だ。その愛がその人たちにとって普遍化された存在になったからだ。
普遍化されるからこそ、魅力を感じられなくなり、その分、愛は薄れていく。
どうすればいいのか。それは、お互いに協調もする必要もあるのだが、一番はお互いに何か新しいことに挑戦するのがいい。
そうすると、お互いに新しい点を見つけることができ、その分愛は薄れることは前者に比べて少ないだろう。
という意味で、挑戦という行動はとても愛着という視点ととても相関が深いことがわかる。
二人で挑戦する。エンドルフィンを味方につけた有意義な行動だ。
ちょうど2年前、なぜこのことに気づけなかったんだろう。
クリエイティブな事が好きなITエンジニア。
2020年にトロント🇨🇦に1年間語学留学したのち、日本と海外の情報格差を認知。
50年後に生きる情報を発信しようと決意。
2020年10月にブログ『Kazyの日常。〜Having a Better Life〜』を開設。
2024年現在で4年目のブロガーとなり、通算530,000PVのブログとなりました。
好きなバイク・DIY・カフェ・自己啓発などを主に執筆。
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