勉強が嫌いな理由が解せない。そんなことが最近よくある。
勉強って、しない理由が無い。なんならした方が人生数倍楽しくなる。知識がある分、人との会話がとても有意義のあるものになりやすい。
言うなれば、コーヒーの淹れ方を知らない人のコーヒーを美味しいっていってしまうくらい、人生が楽しくないもの。正しいコーヒーの淹れ方を知っていれば、その分、美味しいコーヒーを飲める上、人との会話にそのコーヒーが出てくることがあるかもしれない。
ただただ「勉強が嫌い」といっているのは、それは、基礎しか学んでないからといつも思う。地盤がしっかりしていると、その上のジャンルごとに分かれたお店のようにいろんな箱ができる。
いろんな箱というのは、それはもう多種多様。アパレル店だったり、カフェだったり。勉強すればするほど、その箱たちの安定感はこの上なく良くなるだろう。
逆に勉強をしないとそんな箱たちは、美味しく無いコーヒーを出す最低なお店になってしまう。
なんなら、そんな箱を支える基盤として存在する”基礎のお勉強”はカフェも建てれないし、アパレルだって建てらない。楽しくないのだ。
学校で扱うのは、その基盤のみ。もし、自分で好きなことをしようと思ったら、さらにその先にいないといけない。
勉強が嫌いという人にぜひ自分に説いてほしい。
「人生で一度や二度、学校の勉強のように好きなことについて勉強したことはあるか。」と。
多分、人生でいえば、そんな経験絶対にあるだろう。逆に無いというなら今までの人生何やってきたんだと質問したいくらいだ。
そして、その答えとして出てきた思い出を振り返ってみてほしい。
時間を忘れてインターネットで調べ物をしたり、設計図を書いたりしてはいないだろうか。
それがある種の勉強である。
勉強というのは、学校で教わることが全てでは無いのだ。
私も事実、数学も好きなのだが、プログラミングや英語などを勉強している。それは、好きなことだから。
好きというのがあれば、自然と時間も忘れるし、知識がすごいスピードでついていく。それは私の経験としても、みんなの経験としても必ずあることだと思う。
学校で教わるのは、あくまでも、その好きなことをするための基盤に過ぎない。例えば、プログラミングは大学で勉強して、興味が沸いたため勉強している。もし、大学でプログラミングを勉強していなかったらそんなにプログラミングが面白いということに気づけなかっただろう。
大学で勉強したという基盤に対して、プログラミングという箱が出来上がった。
今では、その箱にはいろんなものが入っている。Rust, R, C, Java, JavaScript, PHP, CSS, HTML, Python….などなど。
「好きこそものの上手なれ」という言葉は割と人生において重要な言葉なのかもしれない。
美味しく無いコーヒーよりも美味しいコーヒーを飲んだ方が人生豊かになるのは決まっている。美味しいコーヒーを飲むために勉強していると考えると、コーヒーも勉強も自然と好きになる。
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