Kazyの日常日記

2022-4-15 : 『”なんとなく”生きたくない』

 「なんとなく生きたくない」

 時折、環境というものは、時間が有限であることを教えてくれる。

 一分一秒、この瞬間が今にしかないことを教えてくれる。

 もし、無駄にその一分一秒を過ごしているのならば、それはその分の時間というリソースを失ってしまうことになる。例えば無駄にSNSを開いたり、無駄にテレビを観たり。生きる上で必要のないことに時間を割くことを”無駄”というが、この時間を無駄にするという行為は誰でも嫌に決まっている。


 「よし。次からこうしよう」

 こう思うのはとてもいいこと。今の反省を活かして次回から何か行動していけばいい。

 しかし、これではいつからするのかが明確にわからない。

 なんとなく生きたいのであればその”次から”というのを次に信じていればいい。

 もし、「次から」という言葉を変えるのであれば、具体的な時間にしよう。


 ”開始デッドライン”という、いつから始めなければいけないのか

 ”中間デッドライン”という、いつまでにここまでは終わらせておきたいのか

 ”終了デッドライン”という、いつまでに全てを終わらせる必要があるのか

 この3つがあるだけで、なんとなく生きる人生というのは、生まれ変わることができる。

 一秒一分、全てを通ずる時間を味方につけ、意味のある人生を送りたい。

 その先に、良かれ悪かれ自分が理想とする人生が広がっていることだろう。

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