今回は少し深い話をしていこうと思います!
こんにちは、こんばんは。Kazyです。
そして、お久しぶりです。ここ1ヶ月くらいこのブログを更新できていなくて、このブログを書いているのが久しぶりな感覚です。
そのブログを書いていない期間、何をしていたかというと、このブログの改良をしていました。例えばのお話、フォントを変えたり、文字の間隔を変更したり。気付いた方はいるかもしれませんが、フォントが少し丸くなって、ブログとして読みやすく、そして雰囲気にあっているような気がしませんか?これ、実は試行錯誤をたくさん重ねてこの形になってるんです。
さて、今回のブログの話題について触れていきます。
今回のブログのタイトルは、
世の中の「なぜ」に気づける人と、そうでない人
です。今回はこれについてお話ししていきます。
今回のコンテンツ
この話題を話そうと思ったきっかけ。
まずお話していくのがこの話題を話そうと思ったきっかけについて。
私、今年で22歳なんですが、最近なぜか知らないんですが、身の回りで起こっていることや、物、仕組みについて「なんでこれってこうなんだろう。」って思うようになってきたんです。
正直に言うと、22歳でこんなことを思い始めるのは、大人という化けを被った子供の戯言なんじゃないかと初めは思っていました。しかし、今思うと、そんな単純なものではなくて、しっかりと考えていて、全然化けを被っていない、大人な考えなんだなって感じるんです。
「これは子供の戯言じゃない」と気付いた瞬間、この考えをこの私のブログに残して、今後の自分の為に役立たせたり、他の方でも同じような考えがあったりすると共感が生まれるだろうと思い、この話題をこのブログにて話していこうと思ったんです。
では、「世の中の”なぜ”」について、詳しく話していこうと思います。
まず、身近な例から。身体についてです。
みなさん、毎日習慣としてお風呂やシャワー、浴びると思います。
普段から何気なくお風呂やシャワー(以下:お風呂)していると思いますが、そのときに起こる体の変化について、ふと手を見たときに手の皮が少しふやけていませんか?人によってはふやけるレベルが変わるので、皮膚にシワがよっていたりよっていなかったり。
そこで思ったのが、”なぜ”手はふやけるのか?
なぜでしょうか?ちなみにこのなぜを思ったことがある方って何人くらいいるんでしょうか?私の予想は10人中9人くらいなんじゃないのかなって思うんです(結構いる。)
ちなみに正解は、「手のグリップ力を上げるため」が正解です。(諸説あり)
この”なぜ”についてはかなり身近なので気づく方は何人もいると思います。あと、この理由についても知っている人も結構いるんじゃないですかね。
ではこれはどうでしょうか?
唐突ですが、皆さん、唐辛子は好きでしょうか?唐辛子といえば、辛いですよね。
そこで一つ気になったが、”なぜ”唐辛子は辛いのか?
ということについて。これは単純ですよね。それは唐辛子が他の動物から自分の体を守るために、自分の体を辛くして食べられないようにされてるからです。これは、植物界では有名なお話ですよね。進化として、しっかりと正しい進化を遂げています。
しかし、あることに気付いた方はいませんか?今何を言ったかというと、「他の動物から自分の体を守る為に、自分の体を辛くして食べられないようにされてるから」と言いました。
あれ?人間って知らずして辛い物が食べたいときに唐辛子を使った食べ物、食べてますよね。そうなんです。唐辛子は自分を守る為に辛くなっているのに人間はあえてそれを選んで食べるんです。
そこでまた一つ気になったのが、
”なぜ”唐辛子は辛いという遺伝子があるのに人間はあえてそれを食べるのか?
ということ。
唐辛子は自分の身を守りたいのに反対に食べられるようになっている、つまり、これは進化の過程としては、失敗に終わっているんです。
ではなぜ唐辛子は進化を失敗したのか。苦くなったり、はたまた毒を作ったりするような進化を遂げれば良いだけの話なのですが、現世ではそういう進化の過程を誤ったものだってそう多くはありません。
唐辛子本人からすると自分の進化は間違ってはいないと判断しているんでしょう。そう考えると進化ってなんなんだろうってなるじゃないですか?ね?不思議でしょ?
私はそういうどうでもいいような世の中の”なぜ”によく首を突っ込むようになったんです。
このブログを見ている方で一体どれほどの人数がこれらを普段から”無意識で”行っているのでしょうか?その点も気になります。
理系脳?文系脳?
次にお話ししていくのが、この考えるプロセスについて。
人間の脳は、大まかに分けて2つの思考プロセスがあると言われています。それらが「理系脳」と「文系脳」です。
理系脳と文系脳がどんな違いがあるのかというと、これは諸説あるんですが、一番大きな違いと言われているのがこの思考プロセスなんです。
理系脳では、理系の方々って普段数字やら数式、物理法則など、さまざまな数学を扱っていると思います。
数学を解いたことがある方ならわかると思いますが、数学を解く上で必要なスキルとしては、その先の数式が頭の中に浮かぶかどうかというのがあります。
このスキルは問題の数式がどうしてこのような数式になっているのかを紐解くことから始まり、そこからペンをとって紙に頭の中に浮かんだその解法を書いていく。
頭で思い浮かばなくなったら”なぜ”その解法が止まってしまったのかを考える。要するに頭の中で数式に関しての”なぜ”を常に思っているんです。
ちなみにこれは数学だけでなく、物理も、化学も、生物も同じことが言えます。
よく理系の方々が言われることで、合理的で理由がしっかりしているということがあると思います。それは理系脳を持った方々が”なぜ”を考える思考プロセスを日頃から無意識で行っているからだと思います。
ちなみに、私は国立大学で工学を専攻していて、私自身が理系脳なのでよく「理由が合理的だよね。」って言われることが多々あります。よく考えてみると、そう言った意味では世の中の”なぜ”には気づきやすいのかもしれません。
次は文系脳についてです。
先程の理系脳の解釈を見たとき、「文系脳だから世の中の”なぜ”に気づきにくいわけじゃない!」と思った方、いらっしゃいませんか?実は、理系脳と文系脳では”なぜ”に気づくポイントが違うだけなので、理系脳だけだということは絶対にありません。
では文系脳を持っている方はどのようなことに”なぜ”を思うかというと、それは文章で書かれたこと、言われたことに対してそのまた先にある思考を考える”なぜ”を思うんです。
噛み砕いていうと、例えばの話としてお友達とお話ししている時を想像してみましょう。
文系脳を持っている方々は、言葉や文章のその先を想像することに長けていると言ったと思います。よく文系の方とお話する機会が多いんですが、その時のお話しするのが「何?いま悲しいの?」だとか「めっちゃ嬉しそうやん」みたいな会話なんです。
私は何もしていないのにそれを言われるんです。その時に限って心の中で思ったりしているんですよね。要するに、感情を読み取りやすいということが言えるんです。
要するに、世の中の”なぜ”について、理系脳を持った人はその事象がなぜそうであるのかという結果を考えることに対して、文系脳を持った人は、その事象に対してこの事象の真意を解くということが得意であると言えます。
こう考えると理系脳と文系脳では世の中の”なぜ”に気づくポイントが違うということがわかって面白いですよね。
でも実際、私は理系なので、文系の意見も色々お聞きしたいと思っています。みなさん、コメントお待ちしていますね。
日々考えるという習慣をつける重要性。
お次にお話ししていくのが、習慣について。
習慣に関しては、私、このブログの他の投稿にて色々話しているんです。そして今回が”日々考えるという習慣”についてというこうとです。
まず、前の章にて文系脳と理系脳、それぞれが世の中の”なぜ”に気づくポイントが違うというおはなしをしたと思います。端的にこの章の結論として言いたいのが、
結局みなさん考える能力はそれぞれ持っているので、日々からいろんな世の中の”なぜ”に気付いていこう
という話なんです。
日々私あることを思うんですが、”なぜ”と思えるのはなぜなんだろうと思うんです。疑問に対してさらにそれを疑問に思ってしまうという。これはある意味の重症ですよね。(笑)
それって実はもう答えはでているようなもので、それは私たちが人間という考えて行動するという動物であるからという答えがあるんです。要するに世の中に”なぜ”を思わないのはそれは人間が持っている能力を使っていないということなんですね。
たとえば、頭が良い小学生ってあるパターンがあって、物事に”なぜ”を思って、それに対して必要な情報を自分で調べてそれらを知識として蓄える傾向があるんです。これは、私が塾講師で3年間通して頭がいい小学生を見てきて思ったことです。
結局世の中の”なぜ”を気づき始めてしまうと、そこから新たな”なぜ”が生まれてくるので、終わりがないんです。つまり、よく頭がいい小学生は、そういうなぜをなくす為に本を読んだり、勉強したりするので、必然として頭がよくなるんです。自発的に行動していますよね。
しかし、頭が悪い大人って、それを大人が子供に勉強させているという認識をしてしまうので、子供を塾に行かせたりして全然したくないような勉強を無理矢理させるんです。
子供って興味がないことは本当にしないので、これを繰り返していくと勉強が嫌いになる。そのまま大人になると、結局親子両方とも同じような思考になる(つまり頭が悪くなる)ような状況に陥ります。これは本当に塾にありがちなお話しなので、リアルなんですよね。
私はそういう大人が減って欲しいと思うんです。もしこのサイクルがなくなっていけば、日本中の思考が活性化して、いい社会が生まれると思っています。
大人になってから、世の中の”なぜ”になって気づき始めるのって遅いんじゃないの?と思う方、いると思います。
私はそれは遅いと思っていません。なぜかというと、それに気づき始めると、私がさっき言ったことに気づくことができるからです。
結局世の中ってなんでこんなに不活性化するのかを考えたときに、さっき言ったようなシステムが起こっていることが一つの理由であると結論づいたんです。
さっきも言ったと思うんですが、理系と文系では気づくポイントが全く違います。もし、この方法を世の中で始めた時、それは世の中が多様性に溢れて活性化するいい社会になるんじゃないでしょうか。
なんでそれがそうなっているのかって知ることは、自分の人生がこれからどうなっていくのかを考えるのと結構似ているんじゃないのかなって思います。
日頃から、思いついたアイデアや疑問点は絶対にメモに残すようにしましょう。人間は新しい情報を入れる為に古い情報を捨てます。なので、思いついたことはいずれ忘れます。
おすすめはボイスメモをすることです。書くという時間を使わずに言葉で疑問点を綴る為、忘れにくいのと時間の節約にもなります。
この習慣、めちゃくちゃおすすめです。
まとめ
題名にもある「世の中の”なぜ”に気づける人と、そうでない人」について、読んでいる方は今どちらにいるのか分かりましたでしょうか?
簡単にってしまえば、何かの媒体に世の中の”なぜ”を書いていて、それを解決することをしているかどうかなんです。
考える人っていうのは、何かしらの媒体にそのアイデアを書いているんです。でないと、人間って物事忘れてしまうのになぜ媒体に残していないのかっていう”なぜ”に引っかかるから。ちゃんとしている人なら何かに残しています。
世の中のなぜに気づける人って実は結構少数だったりします。いわゆる少数派の人類です。
私って本当に周りの人たちに「変わっているよね」だとか、「考え方独特よね」とかよく言われるんです。
それって実は私が少数派の思考をしている人間であるという理由になりますよね。
私は少数派の人間っていいなって思うんです。なぜかというと、変わっていないということは、実際、”量産型思考”だと思ってるからです。それは考え方とかって遺伝するからこんなことが起こっているんじゃないのかなって思うんです。
もし仮にアイデンテティがしっかりしているような少数派の人間がいると、そこで多様性が生まれてくるから社会が活性化していくると思うんですよね。
「周りがこうだからこうだよね。だからこの現象ってどうでもいいや。」っていう考えがいつか無くなった時、それが私がいいなっていう社会だと思います。
私は少数派の人間なので、日頃からこうやって媒体に考えを残しながら、自分の性格を大切にしていきたいですね。
いつか、日本の社会が活性化することを願って。
今回はここまでにしたいと思います。
コメント等お待ちしています、それではまた次回。
クリエイティブな事が好きなITエンジニア。
2020年にトロント🇨🇦に1年間語学留学したのち、日本と海外の情報格差を認知。
50年後に生きる情報を発信しようと決意。
2020年10月にブログ『Kazyの日常。〜Having a Better Life〜』を開設。
2024年現在で4年目のブロガーとなり、通算530,000PVのブログとなりました。
好きなバイク・DIY・カフェ・自己啓発などを主に執筆。
多数のコメントをいただきながら、楽しく毎週執筆をさせていただいております。
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